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いかがや脳内解析とはブログ創設時より存在する俺の不可侵領域なのだ。いかがや近況は?に並ぶ古参のカテゴリです。それゆえにあまり手を入れられていないので俺が気が向いたら昔の記事を今風に書き直します。
コメントくれないと俺が孤独死します。
其の壱、孤独は死なのか、俺の脳内で解析します。
コメントくれないと俺が孤独死します。
其の壱、孤独は死なのか、俺の脳内で解析します。
この記事を書くきっかけ
ちょいと小説風に書いてみようかと思います。
途方もない孤独感を感じた。
午前零時、ちょっと過ぎ。
ふと、自分が一人でいることを自覚した。
今週は家族以外、誰とも顔を合わせていない。ちょっとしたひきこもり状態。略すと、ちょもりだ。
別に人間関係が嫌になったとか、高貴な理由では決してなく、ただなんとなく家の外に出るのが億劫になっただけだ。寒さのせいかもしれない。
ともかく、俺はいつもどおりPCでネットサーフィンをしていた。面白いサイトを見つけたら、すぐさまブックマークしていく。画像収集が主な俺の職業だ。本職はコレクターである。
そんな時。
何の前触れもなく、今の自分は一人きりだと自覚した。次いで、恐怖感。一人が怖いと感じて、俺の毛むくじゃらな心臓も少しばかり驚いた。
後ろを振り向くのが怖かった。誰もいないと分かっているのに、誰かいるんじゃないか、と妄想してしまう。恐怖系サイトを見たわけでもないのに、全身に生暖かいベールが被せられたような感覚に陥る。
しかし、俺もいい加減17歳なのでそれしきのことで怖気づくわけにもいかない。むしろずっと振り向かず、ネットに逃げてしまうことの方が怖いと思った。
後ろを見ても誰もいなかった。当たり前だ。
馬鹿馬鹿しい、と自分を罵りながら布団に寝転ぶ。
そこで俺は思案に耽っていた。
誰でも「自分、独りぼっちだなあ」と感じたことはあるはずです。
その孤独感とは何なんでしょうか?
孤独は死を意味する、そんな言葉をどこかで聞いた気がする。孤独感に襲われた今だからこそ、この言葉の意味が分かった。分かった気になっているだけで実のところ何も分かっていなくて、独自の解釈だけで納得してしまっているのかもしれない。でもそれはそれでよかった。今は明確な答えを導き出すことではなく、ひたすらに自分を落ち着かせることだけに専念すればいいのだから。
人間、誰しも死ぬときは独りだ。
人間は孤独な生き物だ。
孤独死。
孤独=死だと考えてみると、孤独を感じて恐怖することは、イコール死への恐怖ということになるのだと思う。死ぬことが怖いということは、イコール死にたくないこと。それは、ニアイコール生きたい、だ。生きたいとも死にたいとも考えず、たたずむように生きる人もいるし、生と死について考えない人もいる。
ちょっと夏休みの話をさせてほしい。
最近の俺(特に夏休み終了後から)は物事を深く考え過ぎず、今を楽しもうという気持ちになっていた。だからなのか、人間関係がはっきりしたように思う。夏休みまでの俺は友人との関係が悪くならないように気を使ったり、周りからウケの良いように振舞っていた。だけど、かなり疲れた。なんで俺ばかり他人のことで悩まなきゃいけないんだ、と自暴自棄になった。もうこの頃から自分と他人は違うと感じてきていたのだろう。
そして、とある夏の日。俺は当時付き合っていた彼女と別れ、東京へ行った。東京は人がいっぱいいて、なんだか自分だけがその空間から切り取られた気分にさせられた。俺、ちっぽけだなあ。帰りのバスはやけに眠ることができた。
それからだ、自分と他人の境界線が明確になりだしたのは。エヴァ的思想で言うと、魂の形を自覚したという感じだ。ルフランだ、違うか。俺とアイツは違う奴で、アイツとソイツは違う奴、ソイツと俺も違う奴。この世界に誰一人として俺と同じ生き物はいない。俺という個体は世界中どこを探しても、平成の地球の日本にいる俺だけしか存在しないのだ。
それはとてもロンリネス。最強のマイノリティだ。
人間は孤独な生き物であると証明されたのでしょうか。
……違うね。肉体の孤独は全生命体に発生する。一匹の単細胞生物がA個体とB個体に分裂したら、A個体とB個体は別々の肉体を持つ生き物だ。ダーウィンの進化論を参考にすると、人間はたとえばカエルでも、たとえばトノサマバッタでもよかった。結局は肉体が何であろうと、全生命体は起源を同じくした別々の生命体だ。だから、肉体は最初からロンリネス、最初から独りなら孤独は感じない。
ダーウィンの進化論:生物のそれぞれの種は、単純な原始生物から進化してきたものであるとする考え(yahoo辞書より引用)。
じゃあ何か? やっぱり精神か。これは少し論争が起きるよ。肉体同様、精神は誰とも同じじゃない。ゆえに最初から孤独だ、と決め付けることもできる。そんなことしたら、解決できない。
ここで孤独を肯定するとなんとなく希望が見出せなくなる気がします。
打開策……クオリアなのかな。俺が見た他人は自分と同一人物であると誤解したりしない。年齢、性別、体格、行動履歴が違う。だけど相手を自分と同じ種族だと認識している。イケメンと俺が同じ種族だなんて感じたことはないが、クオリア的には同じ種族として見ているのだろう。あぁ忌々しい。要するに厳密に見れば、違う種族の生き物を感覚を捻じ曲げて自分の見る目(認識する機能とも言うべきか)を麻痺させ、同じ種族だと誤認させているのだ。この時点で俺らの頭ン中では同じ種族の存在が認識されているから、もしかしたら精神が一緒なのかも、とあまつさえ誤認させられているのかもしれない。
君と俺はどこか同じなんじゃない?
そんなことを無意識に感じながら日々を過ごしている。無意識に他人と一緒じゃないと考える人は、たぶん人間を人間という同じ括りの生き物にしか見れないのだと思う。人間には男と女がいるが違いは分からない……ひよこの選別と大して変わらん。多くの人は無意識のうちに他人と繋がり合う部分を見出しているから、他人とコミュニケーションが取れるのだと思う。その繋がり合うのは何なのか。
俺はこれを精神だと考える。
どこかで精神が一緒だから、喜び悲しみを共有できる。
上で言った、人間、誰しも死ぬときは独りだとか、人間は孤独な生き物だというのは肉体のことしか言ってないのだと思う。
「喜び悲しみ全部シェア」ささめきことED(虹色ポケット/清浦夏実)にこんなフレーズがありましたね。
で、俺が孤独を感じたのはなぜかというと、おそらく人間の肉体のことを考えたからだと思う。形あるものはいつか滅びるらしいので、俺という個体はいつか絶滅する。それがたまらなく恐ろしかった。ふと、自分が独りだと自覚したのは、自分が終わりあるモノであるという真実を考えてしまったからだ。たったそれだけ。本当にそれだけ。俺、絶対死ぬんだよ。
これを読んでいるあなたもいずれ死ぬよ。
永遠は存在しない。時間と永遠は一緒にはいられない。
俺自身の問題を解決します。
死にたくないね。死なんて考えたくないから、精神的な俺を見て生きていけばいいのだ。だれかとつながっていると思えば寂しくない。絶対誰かしら俺と接点を持っている奴が地球上に存在する。俺はアイツを通じて、ソイツを知って、ソイツを通じて彼を知る。彼を通じて彼女を知って、彼女を通じて俺を知る。精神とはワールドワイドウェブである。人類は生まれもってインターネットを持っていたんだね。
まとめ
そんな人類は文明の利器のPC、携帯電話などさまざまな通信機器により違う意味のインターネットに参加している。こんな他人と顔を合わせない世界を「悪い」と切り払う人がいる。逆にコミュニケーションの場が広がり、「良い」と評価する人もいる。俺はどちらも間違っていないとは思う。物事にはメリットデメリットが付き物なのだから、いちいちデメリットに口出ししていたらキリがない。
他人と顔を合わせなくなる機会が減っているのも事実だ。それによって孤独を感じる人が増えている。だけど人は独りにはなれない。俺ら人類全員が生まれもってきたインターネットの存在を忘れない限り。
結論
肉体的孤独は存在するが、精神的孤独は存在しない。つまり完全な孤独にはなることができない。孤独にはなれないので死は訪れない。
パラドックス。
人は死ぬ。だけど孤独ではない。
孤独は死ではない。
しかし孤独は存在しない。すると死は存在しない。
それが意味すること:人間は死ぬことができない。
人間は一度生まれてしまうと、死ぬことができない。ただしそれは永遠ではない。永遠は時間に存在できないから。日々、変化を繰り返しながら、人間は死後も生き続けているのである。
◆
あとがき
うひゃー、評論じみたこと書いちゃいましたよ。
孤独は病気だ。いっぱしのこと言える人じゃないのに。
一応、孤独=死の考えのまま最後まで書いているので、孤独になると人は死ぬってことを暗示したつもり。
なんとなく最近の事柄も織り交ぜて評論っぽくしてみました。
そういや、年齢、性別、体格が同じってのは存在しうるよね。ただ、時間軸と座標軸が一緒になれないだけで。つまり、同じ時間の同じ場所に存在が二つあることはありえないってこと。バンプのカルマって曲の歌詞に「ガラス玉落とされた。落ちたとき何かはじき出した」というフレーズがあるが、まさにこのことです(いや、本当は違うんだけど。アッシュの居場所をルークに取られた的な意味じゃないかな?)。
SFとか哲学とか大好きだからこんな方向の厨二病を持っています。変に理屈っぽいんですよね、……マセガキか。
人間は誰でも孤独を感じる面と感じない面を持ち合わせているんですよね。そのどちらかの面とも同じに保てれば、孤独なんて考えなくなれます。それが意外と難しいんですよね。緊張しているときとか、実は孤独を感じているのかもよ。たとえば面接だとすると、自分が面接官と何のつながりもない生き物だと思い込んでしまうから緊張するのかも。
最初はつながりの部分でえっちなこと書くつもりでしたけど、辞めました。次回作にご期待ください。
以上、脳内解析其の壱、孤独は死か? でした。
ちょいと小説風に書いてみようかと思います。
途方もない孤独感を感じた。
午前零時、ちょっと過ぎ。
ふと、自分が一人でいることを自覚した。
今週は家族以外、誰とも顔を合わせていない。ちょっとしたひきこもり状態。略すと、ちょもりだ。
別に人間関係が嫌になったとか、高貴な理由では決してなく、ただなんとなく家の外に出るのが億劫になっただけだ。寒さのせいかもしれない。
ともかく、俺はいつもどおりPCでネットサーフィンをしていた。面白いサイトを見つけたら、すぐさまブックマークしていく。画像収集が主な俺の職業だ。本職はコレクターである。
そんな時。
何の前触れもなく、今の自分は一人きりだと自覚した。次いで、恐怖感。一人が怖いと感じて、俺の毛むくじゃらな心臓も少しばかり驚いた。
後ろを振り向くのが怖かった。誰もいないと分かっているのに、誰かいるんじゃないか、と妄想してしまう。恐怖系サイトを見たわけでもないのに、全身に生暖かいベールが被せられたような感覚に陥る。
しかし、俺もいい加減17歳なのでそれしきのことで怖気づくわけにもいかない。むしろずっと振り向かず、ネットに逃げてしまうことの方が怖いと思った。
後ろを見ても誰もいなかった。当たり前だ。
馬鹿馬鹿しい、と自分を罵りながら布団に寝転ぶ。
そこで俺は思案に耽っていた。
誰でも「自分、独りぼっちだなあ」と感じたことはあるはずです。
その孤独感とは何なんでしょうか?
孤独は死を意味する、そんな言葉をどこかで聞いた気がする。孤独感に襲われた今だからこそ、この言葉の意味が分かった。分かった気になっているだけで実のところ何も分かっていなくて、独自の解釈だけで納得してしまっているのかもしれない。でもそれはそれでよかった。今は明確な答えを導き出すことではなく、ひたすらに自分を落ち着かせることだけに専念すればいいのだから。
人間、誰しも死ぬときは独りだ。
人間は孤独な生き物だ。
孤独死。
孤独=死だと考えてみると、孤独を感じて恐怖することは、イコール死への恐怖ということになるのだと思う。死ぬことが怖いということは、イコール死にたくないこと。それは、ニアイコール生きたい、だ。生きたいとも死にたいとも考えず、たたずむように生きる人もいるし、生と死について考えない人もいる。
ちょっと夏休みの話をさせてほしい。
最近の俺(特に夏休み終了後から)は物事を深く考え過ぎず、今を楽しもうという気持ちになっていた。だからなのか、人間関係がはっきりしたように思う。夏休みまでの俺は友人との関係が悪くならないように気を使ったり、周りからウケの良いように振舞っていた。だけど、かなり疲れた。なんで俺ばかり他人のことで悩まなきゃいけないんだ、と自暴自棄になった。もうこの頃から自分と他人は違うと感じてきていたのだろう。
そして、とある夏の日。俺は当時付き合っていた彼女と別れ、東京へ行った。東京は人がいっぱいいて、なんだか自分だけがその空間から切り取られた気分にさせられた。俺、ちっぽけだなあ。帰りのバスはやけに眠ることができた。
それからだ、自分と他人の境界線が明確になりだしたのは。エヴァ的思想で言うと、魂の形を自覚したという感じだ。ルフランだ、違うか。俺とアイツは違う奴で、アイツとソイツは違う奴、ソイツと俺も違う奴。この世界に誰一人として俺と同じ生き物はいない。俺という個体は世界中どこを探しても、平成の地球の日本にいる俺だけしか存在しないのだ。
それはとてもロンリネス。最強のマイノリティだ。
人間は孤独な生き物であると証明されたのでしょうか。
……違うね。肉体の孤独は全生命体に発生する。一匹の単細胞生物がA個体とB個体に分裂したら、A個体とB個体は別々の肉体を持つ生き物だ。ダーウィンの進化論を参考にすると、人間はたとえばカエルでも、たとえばトノサマバッタでもよかった。結局は肉体が何であろうと、全生命体は起源を同じくした別々の生命体だ。だから、肉体は最初からロンリネス、最初から独りなら孤独は感じない。
ダーウィンの進化論:生物のそれぞれの種は、単純な原始生物から進化してきたものであるとする考え(yahoo辞書より引用)。
じゃあ何か? やっぱり精神か。これは少し論争が起きるよ。肉体同様、精神は誰とも同じじゃない。ゆえに最初から孤独だ、と決め付けることもできる。そんなことしたら、解決できない。
ここで孤独を肯定するとなんとなく希望が見出せなくなる気がします。
打開策……クオリアなのかな。俺が見た他人は自分と同一人物であると誤解したりしない。年齢、性別、体格、行動履歴が違う。だけど相手を自分と同じ種族だと認識している。イケメンと俺が同じ種族だなんて感じたことはないが、クオリア的には同じ種族として見ているのだろう。あぁ忌々しい。要するに厳密に見れば、違う種族の生き物を感覚を捻じ曲げて自分の見る目(認識する機能とも言うべきか)を麻痺させ、同じ種族だと誤認させているのだ。この時点で俺らの頭ン中では同じ種族の存在が認識されているから、もしかしたら精神が一緒なのかも、とあまつさえ誤認させられているのかもしれない。
君と俺はどこか同じなんじゃない?
そんなことを無意識に感じながら日々を過ごしている。無意識に他人と一緒じゃないと考える人は、たぶん人間を人間という同じ括りの生き物にしか見れないのだと思う。人間には男と女がいるが違いは分からない……ひよこの選別と大して変わらん。多くの人は無意識のうちに他人と繋がり合う部分を見出しているから、他人とコミュニケーションが取れるのだと思う。その繋がり合うのは何なのか。
俺はこれを精神だと考える。
どこかで精神が一緒だから、喜び悲しみを共有できる。
上で言った、人間、誰しも死ぬときは独りだとか、人間は孤独な生き物だというのは肉体のことしか言ってないのだと思う。
「喜び悲しみ全部シェア」ささめきことED(虹色ポケット/清浦夏実)にこんなフレーズがありましたね。
で、俺が孤独を感じたのはなぜかというと、おそらく人間の肉体のことを考えたからだと思う。形あるものはいつか滅びるらしいので、俺という個体はいつか絶滅する。それがたまらなく恐ろしかった。ふと、自分が独りだと自覚したのは、自分が終わりあるモノであるという真実を考えてしまったからだ。たったそれだけ。本当にそれだけ。俺、絶対死ぬんだよ。
これを読んでいるあなたもいずれ死ぬよ。
永遠は存在しない。時間と永遠は一緒にはいられない。
俺自身の問題を解決します。
死にたくないね。死なんて考えたくないから、精神的な俺を見て生きていけばいいのだ。だれかとつながっていると思えば寂しくない。絶対誰かしら俺と接点を持っている奴が地球上に存在する。俺はアイツを通じて、ソイツを知って、ソイツを通じて彼を知る。彼を通じて彼女を知って、彼女を通じて俺を知る。精神とはワールドワイドウェブである。人類は生まれもってインターネットを持っていたんだね。
まとめ
そんな人類は文明の利器のPC、携帯電話などさまざまな通信機器により違う意味のインターネットに参加している。こんな他人と顔を合わせない世界を「悪い」と切り払う人がいる。逆にコミュニケーションの場が広がり、「良い」と評価する人もいる。俺はどちらも間違っていないとは思う。物事にはメリットデメリットが付き物なのだから、いちいちデメリットに口出ししていたらキリがない。
他人と顔を合わせなくなる機会が減っているのも事実だ。それによって孤独を感じる人が増えている。だけど人は独りにはなれない。俺ら人類全員が生まれもってきたインターネットの存在を忘れない限り。
結論
肉体的孤独は存在するが、精神的孤独は存在しない。つまり完全な孤独にはなることができない。孤独にはなれないので死は訪れない。
パラドックス。
人は死ぬ。だけど孤独ではない。
孤独は死ではない。
しかし孤独は存在しない。すると死は存在しない。
それが意味すること:人間は死ぬことができない。
人間は一度生まれてしまうと、死ぬことができない。ただしそれは永遠ではない。永遠は時間に存在できないから。日々、変化を繰り返しながら、人間は死後も生き続けているのである。
◆
あとがき
うひゃー、評論じみたこと書いちゃいましたよ。
孤独は病気だ。いっぱしのこと言える人じゃないのに。
一応、孤独=死の考えのまま最後まで書いているので、孤独になると人は死ぬってことを暗示したつもり。
なんとなく最近の事柄も織り交ぜて評論っぽくしてみました。
そういや、年齢、性別、体格が同じってのは存在しうるよね。ただ、時間軸と座標軸が一緒になれないだけで。つまり、同じ時間の同じ場所に存在が二つあることはありえないってこと。バンプのカルマって曲の歌詞に「ガラス玉落とされた。落ちたとき何かはじき出した」というフレーズがあるが、まさにこのことです(いや、本当は違うんだけど。アッシュの居場所をルークに取られた的な意味じゃないかな?)。
SFとか哲学とか大好きだからこんな方向の厨二病を持っています。変に理屈っぽいんですよね、……マセガキか。
人間は誰でも孤独を感じる面と感じない面を持ち合わせているんですよね。そのどちらかの面とも同じに保てれば、孤独なんて考えなくなれます。それが意外と難しいんですよね。緊張しているときとか、実は孤独を感じているのかもよ。たとえば面接だとすると、自分が面接官と何のつながりもない生き物だと思い込んでしまうから緊張するのかも。
最初はつながりの部分でえっちなこと書くつもりでしたけど、辞めました。次回作にご期待ください。
以上、脳内解析其の壱、孤独は死か? でした。
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Comment
無題
長文すぐるー!
ウサギじゃないのに寂しくなると死ぬのかー!?
とかいいつつ・・・
ついつい細かく最後まで読んでしまった。
しかしだからこそ一切悪気なく言える。
ニアイコール→ニアリーイコール な
PS
えっちなのはいけないと思います
ウサギじゃないのに寂しくなると死ぬのかー!?
とかいいつつ・・・
ついつい細かく最後まで読んでしまった。
しかしだからこそ一切悪気なく言える。
ニアイコール→ニアリーイコール な
PS
えっちなのはいけないと思います