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三六〇度みわたすかぎりの青、蒼、碧。
くま並に大男な船長が溺愛するフェリー〈ちゅらかーぎー〉でゆられること約三時間、俺たち新堂学園一同は紺碧の海に浮かぶ巴島に上陸した。島のほとんどが青々とした天然林で、蒼空の下には星の砂があるビーチや、断崖絶壁に流刑されたそうりょの怨念が込められたほら穴もある。アヴァンチュールどころか、命がけの大冒険ができそうだ。
もちろん、命がけの大冒険などはだれものぞまず、少なくともレイ以外に平穏な宿泊学習が幕をあけた。
「レイちゃんっ、日焼け止めクリーム塗らなきゃ!」
「い、いいよぉ~。あかり、やっあっ、くすぐったいって、なんでさっきから足のうらばっかり! ……ひゃっ」
「むぐー……レイちゃん、意外とムネおっきい」
背中からぐるりと手を回して、現在女になった俺のムネをもみ始める。あかりのホルターネックでも分かる大きめなそれが背中に当たっていて、俺はからりとした暑さなのにじわじわ流汗。この前の一件いらい、あかりとはよく話をするのだが、どうやら今日はトコナツのバカンスでハイテンションらしい。そうだと俺は信じたい。
「こらこら、あかり。レイの夫にもうしわけないでしょ」
一緒にいた別の女の子が俺の一命をとりとめる。半分くらいなにか失った気はしたが。
あかりはごめんごめんとあやまりながら、にやにやしている。
というか、夫って誰よ。
「もう、鈍感なんだから(堤防の方にゆびさすあかり)」
ゆびさした先の堤防にたたずむ影は、今しがた俺を助けたますらお、甲賀だった。俺は甲賀と数秒目が合ってしまったが、甲賀はガンをとばすわけでもなく、ただ決まりが悪そうにうつむく。甲賀のやけに大きいネックレスが灼熱の日輪に輝いた。
「ねっ?」
『ねっ?』じゃねえ。甲賀は男だぞ。あ、今の俺は女だからいいのか。いや、そんな問題じゃない。
俺は旅行前に兄貴からもらったビキニ(兄貴のではないハズ)を着用している。どうしてこの水着は、こんなに面積がせまいんだ。これではかくすべきところがかくし切れないじゃないか。
「あのさ、あかり? 私、泳がないでシャツ着てまってるから、日焼けクリームいらないんだ。だから、みんなで泳いできていいよ」
「そっかぁ、愛しのダーリンと新婚旅行か」
「だ、ダーリンって! そんなんじゃないってば!」
「はいはい、お幸せに~」
一番幸せなのは、お前らだろ。とは、言わないでおいた。
少し大きめのTシャツを着て、俺はパラソルの日陰から海であそぶ同級生をながめる。海に流される確率一〇〇パーセントの水着なんて……まさか、グラビア撮影用か?
俺はそそくさとひとけのないところへ亡命したのだった。
大きく生長した天然林は激しい日差しをやわらかい木漏れ日に変え、散歩には丁度いい。やさしいそよ風に力強く伸びた夏草がゆられ、俺はあふれる緑の香りをしんこきゅう。伝わるものは手つかずの自然がもつ生々しい命、広漠たる心。
「もう、女のままでもいいかぁ」
無意識に心の声がこぼれる。
「ほんとに、女のままの方がいいなー」
ああ、俺もほんとにそう思うよ。俺も、だと?
突然、じんせん風が目の前に発生し、土や落ち葉を舞い上げる。舞い上がったそれらは、おもに俺の頭に降りつもる。落ち葉降る先、低身長な人影。
「兄、貴……?」
「ハーィ、レイ。ほら、カメラカメラ」
じんせん風から現れたそいつは、下半身を土にうもれさせ、「ラブアンドピース」と一眼レフかまえてつぶやいていた。
私立新堂学園の校長であり、俺の兄である伊藤智樹は〈伊藤家の嘱託〉でもある。ちなみに〈伊藤家の嘱託〉とは、魔法を使ったアルバイターのことだ。魔法を使える血筋を持つのは伊藤家しか知らないが、たぶん他にもいるんだろう。智樹は学校の校長をアルバイトしている。でも、俺は少女にならないと魔法が使えないから、伊藤家なのにアルバイトができない。俺はいわゆるデキソコナイだった。
兄貴は地面から足を引きぬいて、俺の体を上から目線でしげしげと眺める。
「転送魔法、しっぱいしっぱい。ところで似合ってるぞ、俺の水着」
「あ、ありがと」
それでも〈伊藤家の嘱託〉なのか――って、この水着、兄貴のだったのか!? なに、しおらしい返事してんの俺?
「全く、ケータイ壊すなんてどじっ娘だね。おかげでこっちは、大混乱だよ」
「……こっち?」
「いやいや、こっちの話」
「……こっち?」
「いやいや、こっちの話」
俺、生きて帰れるかな。
唖然して、遠くに目をやるとそこには甲賀の姿。もし、甲賀が兄貴に見つかればだたではすまない。それに、兄貴が手駒探しをしていることもわすれちゃいけない。なんとかせねばっ。
俺は兄貴のそばに駆け寄り、厚いむないたに身体を任せて、
「お兄ちゃん、私、私ね。お兄ちゃんの、およめになりたいの……」
甘い声で言うと、兄貴は動揺したようで心臓の高鳴りや荒い鼻息、一眼レフまで地面に落とした。
名づけて〈ギャルゲー主人公作戦・智樹タイプ〉! これで、甲賀のことは兄貴に見つからない。おまけに、兄貴の嗜好まではあくできるという一石二鳥。これからは、軍師レイと呼ぶがいい。
「レイ、僕もキミをおよめにしたい。けど――」
兄貴は、一眼レフを離して空いた両手で俺を抱きしめる。俺は兄貴の左手を背中で強く這わせるような感覚に、自身の顔が青ざめるように感じた。これでは、見てしまった甲賀も気落ちするかも知れない。なにより、これはスキャンダルなのだろうから。
「――隠し事はイケナイと思うよ。レイちゃんっ?」
背中に回されただけの兄貴の右手が細かく動き、
「アムネ・マリアーレ」
つぶやき終えた一刹那。
俺から向かって右側、空を切る音とともにあおむらさきのビームが茂みの向こうの甲賀を射る。
甲賀っ……!
俺は目を閉じて心の中で甲賀の回想シーンに突入していたが、甲賀が倒れる様子もなくなにごともなかったように去っていった。それから、もう一度兄貴が抱きしめようとするからアッパーカットをぶちこんだ。さて、どうして兄貴の魔法は呪文だけで発動できるのか小一時間問い詰めたい。
「どうやら、奴は対魔法の道具をもっているらしい……。僕の催眠魔法がはね返された」
対魔法の道具じゃなくて、あのギンギラギンのネックレスではね返っただけじゃないか? もし、対魔法の道具をもっていたら、俺の〈時間を止める魔法〉から脱出できるだろうからな。
そのあと、ぶつぶつなとなにかつぶやきながら兄貴もこの場を去った。なにしに来たんだ、あいつ?
「戻るとするか」
木々たちがよからぬ予想をささやきあうように、夕風にゆれていた。