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 今日、ばあちゃんが亡くなった。
 ちょうど文化祭一日目の午前中のことだった。
 その頃、私は文化祭実行委員としてウイニングイレブン大会の会場準備に追われていた。ダンボールやブルーシートでスタッフルームを区切り、サッカー選手の写真を至るところに貼り付ける作業を黙々とする。十時前には上級生が置いてあったプレステ2でレースゲームやスパロボをやり始める。スタッフ以外もやってきて、会場は乗っ取られた。
「やることないな」
 私は同級のスタッフと他ブースに移動することにした。友人たちとウーパールーパー見に行ったりして、一時間近く遊んだ。私はパシリとしてチョコバナナとファンタを買いに行く。ととーるという店では、学校一番の安い食料が入ることで有名だった。チョコバナナ三つを友人の分、ファンタ一本も友人の分、私はカルピスを買った。
 カルピスはぬるかった。ボトルの表面だけが濡れていて、いささか気持ちの悪いものだった。
「ほれ」
 友人たちに長蛇の列をかき分けて手に入れた戦利品を渡していく。
「三〇円返せよ」
 パシリには三〇円を取られる義務も責任も空気もない。
「奢れよ」
「はぁっ?」
 そんなとき、ズボンの左ポケットから振動が伝わった。携帯電話を開く。
『ばあちゃん亡くなった。
 線香上げにきて。なるべく早めにきて。
 ヨロシク!』
 送信者は絵文字を多めに使う母からだった。
「誰から」
「お母さん」
「なんて」
 もう一度、メールの本文を読む。
『ばあちゃん亡くなった。
 線香上げにきて。なるべく早めにきて。
 ヨロシク!』
 変わりなく、それは祖母の死を伝える文章であった。
 私はその内容を理解するのに十秒弱かかる。
「ばあちゃん死んだ」
 場の空気が凍るでもなく、濁るとか汚れるとかそんな雰囲気をかもし出した。
 誰も口を開かずに、誰かが「ご愁傷様」と呟くと、口々に慰めや同情の言葉が飛び交った。言葉は全て、私を通り過ぎたように感じたのは、言葉を受け止める心がなかったのか、溢れんばかりの何かが故意に言葉をスルーしたのだろうか。
 私は心を落ち着けるためにカルピスを飲んだ。甘い液が舌の上をのど奥へと引きずられていく。のどにはべた付きとい痛みを伴う甘さが流れていった。それで、心のわだかまりが抜けるとか無くなるとか、そういったものは皆無で、ただただカルピスで薄まり、紛れさせるばかりであった。
 それから、担任と実行委員長と担当で関係のある人々に忌引きを伝えた。私は一般生徒と同じ帰路に着く。カルピスはバックを無駄に重くする。電車に乗るときも友人たちと会話を交わすことさえもはばかれるように、残酷な事実はメールという文字媒体であたかもライトにのしかかる。
 家に着くと、母と一緒に祖母の家へ向かった。網戸が締め切られて、白っぽい光で屋内を照らしている。そこからは挨拶と段取りの打ち合わせと、小遣いをもらうことが主だった。
 はて、祖母の顔は?
 綺麗になって、白くなって、目を閉じていた。思い出せない。現在も過去もなにより、そこから今にいたる記憶がひどく曖昧で自信をもてない、不安定極まりない。死んだ時は、寝ているときで安らかにまさしく眠るように死んだとのことだった。
 生前の祖母は痴呆症だった。ボケていた。私のことも理解することができないから、他人としか見ていなかったのだろうか。私が三才の頃まではあそばせてもらっていたそうだったが、そんな昔の記憶が残っているわけもなく、メモリーに蓄積されたのは、手に靴下をはめられて、いすに座っているやつれた老婆だけであった。思い出だけが絆なのか。ならば、その絆もない。あるのは血縁のみ。相互扶助システムがない絆は絆ではなく、縁だけなのだろう。私の考えは、間違っているのだろうか。
 ふと、ろうそくを見ると不自然に揺れていたので、祖母がいるのではないかと思い、お辞儀をすると、揺れが突然止まり、ピンと緋色の炎は燃えていた。お疲れ、ばあちゃん。
 明日は通夜、明後日は火葬。私の文化祭はとっくに終焉の合図を告げられていた。自宅でバックをあけると三分ばかり余ったカルピスが、文化祭の傷跡だった。
 カルピスは甘ったるいとげをのどに押し付けただけで、潤いも乾きもない一風変わった日常へ私を連れ去った。
 明日からが忙しい。

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