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![]() | WHITE ALBUM VOL.1 [DVD] (2009/04/22) 平野綾水樹奈々 商品詳細を見る |
◆基本データ
oficial
wipipedia
原作:18禁ゲーム
放送開始:2009年1月 - 3月(前半)2009年10月 - 12月(後半)
アニメーション制作:セブン・アークス
話数:全26話(前半・後半に分割)
世界観:1986年の東京、アイドル業界
主要人物:ヘタレ主人公、アイドルの恋人、複数の浮気相手
ジャンル1:成長物語
ジャンル2:愛憎劇
キーワード:浮気、ヘタレ、アイドル、紅白、音楽、過去
対象:大人向け、男性向け
◆内容紹介(公式サイトより引用)
時は1986年――”バブル”前夜。来るべき狂乱とその崩壊を、巷は知らない。電車内でイヤホンをしているのは、競馬か野球か英会話を聴くオジサン達だけだった時代。アスファルトには、引き剥がされたプルトップが散らばっていた時代。携帯電話は勿論、自動車電話も珍しかった。留守番電話は電話機とは別に買わねばならず、駅前の電話ボックスには、テレカを手にしたサラリーマンが列をなしていた…そんな時代。若き恋人は、誰もが腕時計を嵌め、握り締めた受話器から聞こえる呼び出し音に胸を高鳴らせながら、悩み、泣き、誤解し合い、すれ違っていた――。
冬空の下、移ろいゆく彼女との関係……
悲しくも、とても優しい物語
◆評価
総評:佳作
総点:72
ストーリー構成:8
演出:8
脚本・台詞:7
作画:5
声優・演技:8
キャラクター:7
メカ・小道具・背景・美術:6
BGM・効果音:7
主題歌・挿入歌:9
人気:7
◆感想
アニメの表現を上手く使った名作ながら、いろいろなことで評価が低めに見られている作品です。
ギャルゲブランド界では有名なLeaf原作で、主人公はヘタレの代名詞で有名でした。だから、人気かどうかは知らないが、注目された作品だったように思います。
また、このアニメの主題歌を歌う水樹奈々さんが紅白で初となる声優の出演ということで、一般人からも注目を集めています。
○構成について
最終話で伏線回収を一気に持ってきたことはどんでん返しみたいで面白いが、言い換えれば詰め込みすぎ?
どんでん返しを上手く利用すること以前に、クライマックス前のクライシスが必要なわけだが、この作品にはクライシスが小さいんですね。クライシスってのはこのホワルバで言えば、冬弥の浮気がみんなにバレたり理奈の声がなくなったり、などのクライマックス前の何かしら問題が発生した部分を言うのですが、今までの流れ的にあってもおかしくない状況だと言うことは視聴者のほとんどが考えていたはず。だから、衝撃が少ない。クライシスはインパクトがあるかよほどの悲惨な状況でなければ、クライマックスをより盛り上げる効果的なクライシスにならない。
と、今俺が言ったのは普通に物語を楽しむ部分の話。これは物語を楽しむと言うよりキャラの心情を楽しむ話だと思うし、このクライシス談は関係ないのかも知れないが、内情を楽しむことを発見できない人のためのフックとして物語的な面白さも強く主張できるような作品にして欲しいと思いました。
まあ、これは贅沢と言うなあ。実際、そういう部分を楽しむ作品じゃないし、前期見てる人はそういう気持ちで見ていたわけじゃないでしょ。
前期と後期に分けたのはどうなんだか。俺は前期の内容を忘れてたので、後期は流されるがままに見てました。でも、冬にしか放送させなかったのは作中の季節感を感じさせるためなんじゃないかな。やっぱ、アニメでもなんでも季節感を感じる作品を見たいよね。
前期は冬弥の視点を大事に扱ってました。感情移入を促す小説技法のひとつ、一人称によく似た見せ方です(多くのギャルゲはこの視点)。ですが、アニメだと三人称主人公視点になりがちなんですけどね。この視点のおかげか始まりはその80年代な世界観を主人公・冬弥を通して感じることができましたので、導入部はばっちりだったと思います。でも、だんだんと冬弥の女癖の悪さが非難され、感情移入は難しくなり、徐々に客観的な視点を取るようになります。ここからが本番。しかし、そこで物語はぷつりと終わってしまう。まだ続きはあるようだが、視聴者に残ったのは主人公の悪印象ばかり。それにも関わらず、最後まで観たくなるのがこの作品の憎いところ。伏線の張り方と終わらせ方は尾を引いていましたが……、この合間にけいおんや化物語などの話題作によって影を落とされてしまいます。
後期は逆に三人称の視点を広くして、冬弥、由綺、理奈などキャラ全員の成長に迫っていきます。でも、ぜんぶ冬弥がらみなんですね。冬弥を中心として、周辺のキャラを描いていくのですが、若干そこいらに尺をかけすぎたかな、とも思います。そうすれば、最終話をもう少し初見でも分かりやすいように描けたかも知れない。また、前期の内容を覚えてない人ばかりで、伏線を忘れられ、やっぱり何が何だか分からんことにもなってました。
まあ、1話から26話まで一気に見るのなら内容は把握しやすそう。でも、重っ苦しい作品ですから、一気に見るとハートブレイクしそうだ。
各話構成は非常にインパクトの強い作品です。浮気をテーマに扱った作品のアニメ化なんてそうそう見れないから、そりゃ衝撃的だわな。飽きずに見れると思うよ。というか、各話の終わり方がとても引きの強い終わり方なんで否が応にも次回を観たくなると言うもの。
各話で区切っても作品で区切っても構成に於いて評価の高い作品でした。
○演出
これ、俺は分からんのだよ。
ぜんぜん詳しくない。
いろいろ見て回ってみました。
☆水彩で描かれたシーンについて
アニメを考えるブログより
過去のことだということは俺も感じていました。でも、過去の記憶でしっくりきた。なるほどね、過去の記憶、つまりめのうとの女神云々の話だから「女神」を感じる場面だということ。
なんで、水彩描写なんだろう。
過去の記憶だから?
もともと水彩絵具は日に当たったり、空気に触れることで退色します。つまり色褪せるということ。過去の記憶は時間が経てば褪せていく。冬弥の場合は女神と出会うことだったり、誰かを嘘でもいいから愛することで褪せていく。冬弥はわざと、でも無意識にこの水彩画の思い出をなかったことにはしないけれど、できるだけ思い出せないようにしていたのだと思います。
どのみち、この演出はホワイトアルバムを象徴するような演出ですから、印象が強くていいですね。
☆テキスト
これはキャラの内情を語ったんでしょうね。そこは少女漫画的とも言われています。
でも、漫画原作アニメって心情を映すためだけにカメラをキャラに近づけたりするだけだけど、このように文字で表現したのは初めて見た。まあ、これはエロゲ原作なわけだが。
☆OP映像
縦書きのスタッフ・キャスト紹介について。
アニメ・マジメより
納得した。
俺は渡鬼をイメージしてたが。
あと、後期のOP曲の最後に理奈が振り返りますよね。あそこの絵だけなぜか力強い感じがしました。たぶん油彩とかコンテ使って、水を弾いてるように思います。そこも独立、という意味が込められているのかね。
☆その他演出
よく分からんが、多くの人が絶賛してます。中には無駄な演出と言う人もいます。どっちだ。
○脚本とかキャラとか
説明しなくてもいいかも知れんがさらっと言っておく。
主人公・冬弥を中心に捉えた作品です。こいつがふらふらしていているのはその80年代という時代がまだまだ不安定な時代だったからでしょう。それを表したキャラクターが冬弥なのかも知れません。
だから、愛憎劇を見るアニメというより、80年代という不安定な時代を生きる人を見るアニメですね。
通信技術に携帯電話なんてなかった時代ですから、会わずして会話ができた電話の良さを感じます。ちょっと前まで公衆電話もダイヤル式だったのに今では全部ボタン式ですし。その公衆電話すら減ってきていますからね。背中に背負う携帯電話が物置にあるなあ。
対して由綺はアイドルと一般人の境目を右往左往していた人。このころのアイドルとはテレビでしか見れない存在で、人々にとっては天の上の人という感じでした。だけど、その天の上ともつかない由綺。由綺を地上へと足を引っ張るのは冬弥でした。最終的にはアイドルの道を生きることを決意しました。
理奈は天の上の人。冬弥とは体格にいる相手に当たります。だからぶつかり合うんですが、お互いが違うところにいるから、違う面が見えてくるんです。そのズレが良い方向にも悪い方向にも傾きます。
めのうはキャラの要素で言うとトリガー。きっかけとなる人物。
はるか他。地味に描かれていたのは、やはり、アイドルと画するため。
マナは良心。最終話の金の斧の話は上手だし、他にもうまい具合に視聴者に物語のおくに潜む渦への理解を促す役割を果たしてくれていたように思う。視聴者と同じように「意味わかんない」という立場にいたからかも知れないが。
総じてキャラ数多いな。こんだけ人数多いのにそれぞれ描こうとしたので尺不足になったのかも知れん。尺不足って言うほどじゃないけど、もう少し余裕が欲しかったなあくらいのニュアンス。
○声優とか主題歌とか
紅白キター。
紅白にこのアニメの主題歌が使われると言うのはなんとも運命的ですね。
アイドルを扱った作品がリアルアイドルと同じ舞台に立っているんですから。
声優は問題ないくらいに良いです。歌も歌います。アイドル云々はマクロスに通ずるところがあるかもしれないけど、ちょっとマクロスは規模でかいからなぁ。
キャラに合った声優選びでしたね。
○サブタイ
長かった。でもいいネーミングセンス。
○最後に
本当に大人向けな作品でした。
この記事書くの大変だったよ。
アニメの表現を上手く使った名作ながら、いろいろなことで評価が低めに見られている作品です。
ギャルゲブランド界では有名なLeaf原作で、主人公はヘタレの代名詞で有名でした。だから、人気かどうかは知らないが、注目された作品だったように思います。
また、このアニメの主題歌を歌う水樹奈々さんが紅白で初となる声優の出演ということで、一般人からも注目を集めています。
○構成について
最終話で伏線回収を一気に持ってきたことはどんでん返しみたいで面白いが、言い換えれば詰め込みすぎ?
どんでん返しを上手く利用すること以前に、クライマックス前のクライシスが必要なわけだが、この作品にはクライシスが小さいんですね。クライシスってのはこのホワルバで言えば、冬弥の浮気がみんなにバレたり理奈の声がなくなったり、などのクライマックス前の何かしら問題が発生した部分を言うのですが、今までの流れ的にあってもおかしくない状況だと言うことは視聴者のほとんどが考えていたはず。だから、衝撃が少ない。クライシスはインパクトがあるかよほどの悲惨な状況でなければ、クライマックスをより盛り上げる効果的なクライシスにならない。
と、今俺が言ったのは普通に物語を楽しむ部分の話。これは物語を楽しむと言うよりキャラの心情を楽しむ話だと思うし、このクライシス談は関係ないのかも知れないが、内情を楽しむことを発見できない人のためのフックとして物語的な面白さも強く主張できるような作品にして欲しいと思いました。
まあ、これは贅沢と言うなあ。実際、そういう部分を楽しむ作品じゃないし、前期見てる人はそういう気持ちで見ていたわけじゃないでしょ。
前期と後期に分けたのはどうなんだか。俺は前期の内容を忘れてたので、後期は流されるがままに見てました。でも、冬にしか放送させなかったのは作中の季節感を感じさせるためなんじゃないかな。やっぱ、アニメでもなんでも季節感を感じる作品を見たいよね。
前期は冬弥の視点を大事に扱ってました。感情移入を促す小説技法のひとつ、一人称によく似た見せ方です(多くのギャルゲはこの視点)。ですが、アニメだと三人称主人公視点になりがちなんですけどね。この視点のおかげか始まりはその80年代な世界観を主人公・冬弥を通して感じることができましたので、導入部はばっちりだったと思います。でも、だんだんと冬弥の女癖の悪さが非難され、感情移入は難しくなり、徐々に客観的な視点を取るようになります。ここからが本番。しかし、そこで物語はぷつりと終わってしまう。まだ続きはあるようだが、視聴者に残ったのは主人公の悪印象ばかり。それにも関わらず、最後まで観たくなるのがこの作品の憎いところ。伏線の張り方と終わらせ方は尾を引いていましたが……、この合間にけいおんや化物語などの話題作によって影を落とされてしまいます。
後期は逆に三人称の視点を広くして、冬弥、由綺、理奈などキャラ全員の成長に迫っていきます。でも、ぜんぶ冬弥がらみなんですね。冬弥を中心として、周辺のキャラを描いていくのですが、若干そこいらに尺をかけすぎたかな、とも思います。そうすれば、最終話をもう少し初見でも分かりやすいように描けたかも知れない。また、前期の内容を覚えてない人ばかりで、伏線を忘れられ、やっぱり何が何だか分からんことにもなってました。
まあ、1話から26話まで一気に見るのなら内容は把握しやすそう。でも、重っ苦しい作品ですから、一気に見るとハートブレイクしそうだ。
各話構成は非常にインパクトの強い作品です。浮気をテーマに扱った作品のアニメ化なんてそうそう見れないから、そりゃ衝撃的だわな。飽きずに見れると思うよ。というか、各話の終わり方がとても引きの強い終わり方なんで否が応にも次回を観たくなると言うもの。
各話で区切っても作品で区切っても構成に於いて評価の高い作品でした。
○演出
これ、俺は分からんのだよ。
ぜんぜん詳しくない。
いろいろ見て回ってみました。
☆水彩で描かれたシーンについて
アニメを考えるブログより
▼水彩描写
元に戻して、水彩描写の話をしましょう。
たしか、水彩描写は何を現しているかについて、
1クールの頃なんかは、登場人物の本音を現している、なんてこのブログでは書いていたような。
今、私の解釈は全然違っていて、
この水彩描写というのは、冬弥が相手に女神を感じていたり、
女神に恩返ししないといけないなと思っていたり、
あるいは、はっきりと意識できないけど、忘れてしまった過去の何かを感じている時ではないかと思っています。
つまり、冬弥の失われた記憶の部分は、たいてい水彩描写になっていたわけですが、
それは冬弥のトラウマでもあり、女神を生み出す原因でもあった。
そこから、水彩描写で描かれている場面というのは、冬弥が相手に対して「女神」を感じている場面であり、
ひいては、過去の記憶が喚起されていることの現れではないかと、そう考えています。
とりあえず、相手の本音が見えているから、というのは当時から微妙に外していましたので、
今となっては明確に違うようになります。
過去のことだということは俺も感じていました。でも、過去の記憶でしっくりきた。なるほどね、過去の記憶、つまりめのうとの女神云々の話だから「女神」を感じる場面だということ。
なんで、水彩描写なんだろう。
過去の記憶だから?
もともと水彩絵具は日に当たったり、空気に触れることで退色します。つまり色褪せるということ。過去の記憶は時間が経てば褪せていく。冬弥の場合は女神と出会うことだったり、誰かを嘘でもいいから愛することで褪せていく。冬弥はわざと、でも無意識にこの水彩画の思い出をなかったことにはしないけれど、できるだけ思い出せないようにしていたのだと思います。
どのみち、この演出はホワイトアルバムを象徴するような演出ですから、印象が強くていいですね。
☆テキスト
これはキャラの内情を語ったんでしょうね。そこは少女漫画的とも言われています。
でも、漫画原作アニメって心情を映すためだけにカメラをキャラに近づけたりするだけだけど、このように文字で表現したのは初めて見た。まあ、これはエロゲ原作なわけだが。
☆OP映像
縦書きのスタッフ・キャスト紹介について。
アニメ・マジメより
文字が縦書きなのもNHKの朝ドラとかを意識しているんだろう。
納得した。
俺は渡鬼をイメージしてたが。
あと、後期のOP曲の最後に理奈が振り返りますよね。あそこの絵だけなぜか力強い感じがしました。たぶん油彩とかコンテ使って、水を弾いてるように思います。そこも独立、という意味が込められているのかね。
☆その他演出
よく分からんが、多くの人が絶賛してます。中には無駄な演出と言う人もいます。
○脚本とかキャラとか
説明しなくてもいいかも知れんがさらっと言っておく。
主人公・冬弥を中心に捉えた作品です。こいつがふらふらしていているのはその80年代という時代がまだまだ不安定な時代だったからでしょう。それを表したキャラクターが冬弥なのかも知れません。
だから、愛憎劇を見るアニメというより、80年代という不安定な時代を生きる人を見るアニメですね。
通信技術に携帯電話なんてなかった時代ですから、会わずして会話ができた電話の良さを感じます。ちょっと前まで公衆電話もダイヤル式だったのに今では全部ボタン式ですし。その公衆電話すら減ってきていますからね。背中に背負う携帯電話が物置にあるなあ。
対して由綺はアイドルと一般人の境目を右往左往していた人。このころのアイドルとはテレビでしか見れない存在で、人々にとっては天の上の人という感じでした。だけど、その天の上ともつかない由綺。由綺を地上へと足を引っ張るのは冬弥でした。最終的にはアイドルの道を生きることを決意しました。
理奈は天の上の人。冬弥とは体格にいる相手に当たります。だからぶつかり合うんですが、お互いが違うところにいるから、違う面が見えてくるんです。そのズレが良い方向にも悪い方向にも傾きます。
めのうはキャラの要素で言うとトリガー。きっかけとなる人物。
はるか他。地味に描かれていたのは、やはり、アイドルと画するため。
マナは良心。最終話の金の斧の話は上手だし、他にもうまい具合に視聴者に物語のおくに潜む渦への理解を促す役割を果たしてくれていたように思う。視聴者と同じように「意味わかんない」という立場にいたからかも知れないが。
総じてキャラ数多いな。こんだけ人数多いのにそれぞれ描こうとしたので尺不足になったのかも知れん。尺不足って言うほどじゃないけど、もう少し余裕が欲しかったなあくらいのニュアンス。
○声優とか主題歌とか
紅白キター。
紅白にこのアニメの主題歌が使われると言うのはなんとも運命的ですね。
アイドルを扱った作品がリアルアイドルと同じ舞台に立っているんですから。
声優は問題ないくらいに良いです。歌も歌います。アイドル云々はマクロスに通ずるところがあるかもしれないけど、ちょっとマクロスは規模でかいからなぁ。
キャラに合った声優選びでしたね。
○サブタイ
長かった。でもいいネーミングセンス。
○最後に
本当に大人向けな作品でした。
この記事書くの大変だったよ。
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